2026年版・5-4

日本の教育の歴史と思想家の一問一答

保育士 筆記試験「教育原理」から、日本の教育の歴史と思想家に関する4択問題を10問。「答えと解説を見る」を開くと、正解とその理由がその場で読めます。会員登録は不要です。

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問題

上から順に解いてみてください。答えは各問の下で確認できます。

問15-4

平安時代に、身分を問わず庶民にも門戸を開いた教育機関とされる「綜芸種智院」を創設した人物はだれか。

  • ①最澄
  • ②空海
  • ③菅原道真
  • ④藤原冬嗣
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正解 ②空海
解説

綜芸種智院は、平安時代初期に空海(弘法大師)が京都に開いた教育機関です。当時の教育機関である大学(大学寮)や、有力貴族が一族の子弟のために設けた私学(大学別曹)は、主に貴族や官人の子弟を対象としていました。これに対して綜芸種智院は、身分を問わず庶民にも門戸を開き、仏教だけでなく儒教などの幅広い学問を総合的に教えることを目指した点で、日本の庶民教育の先駆けとされています。

他の選択肢が不適切な理由

・最澄:天台宗を開いた僧で、比叡山で修行する僧の育成規則である『山家学生式』を定めました。
・菅原道真:平安時代の学者・政治家で、菅原氏は大学寮での学問に深く関わりましたが、綜芸種智院の創設者ではありません。
・藤原冬嗣:藤原氏の子弟のための大学別曹である勧学院を設けた人物です。

【覚え方のポイント】
「空海=綜芸種智院(庶民にも開かれた)」「最澄=『山家学生式』」「藤原冬嗣=勧学院(藤原氏)」。同じ時代の二人の僧、最澄と空海の業績を取り違えないようにしましょう。
問25-4

日本の教育機関とその創設・再興に関わった人物の組み合わせとして、誤っているものはどれか。

  • ①足利学校―上杉憲実
  • ②金沢文庫―北条実時
  • ③綜芸種智院―空海
  • ④昌平坂学問所―最澄
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正解 ④昌平坂学問所―最澄
解説

昌平坂学問所(昌平黌)は、江戸幕府の儒官であった林家の家塾に由来し、江戸時代後期に幕府直轄の学問所となった教育機関です。最澄は平安時代の僧で、天台宗を開き、『山家学生式』を定めた人物であり、昌平坂学問所とは関係ありません。
江戸時代には、幕府の昌平坂学問所のほか、各藩が主に武士の子弟を教育するために設けた藩校(水戸藩の弘道館、会津藩の日新館、長州藩の明倫館など)がありました。

他の選択肢が不適切な理由

・足利学校―上杉憲実:正しい組み合わせです。下野国(現在の栃木県)の足利学校は、室町時代に関東管領の上杉憲実が再興し、多くの書籍を寄進しました。
・金沢文庫―北条実時:正しい組み合わせです。鎌倉時代に北条実時が武蔵国金沢(現在の横浜市)に設けた文庫で、多くの書籍を集めました。
・綜芸種智院―空海:正しい組み合わせです。平安時代に空海が開き、庶民にも門戸を開いた教育機関とされます。

【覚え方のポイント】
時代順に「平安=綜芸種智院(空海)・勧学院(藤原冬嗣)」「鎌倉=金沢文庫(北条実時)」「室町=足利学校(上杉憲実が再興)」「江戸=昌平坂学問所(幕府)・藩校(弘道館など)・寺子屋・私塾」と整理しましょう。
問35-4

江戸時代の寺子屋に関する記述として、最も適切なものはどれか。

  • ①各藩が武士の子弟を教育するために設けた学校で、儒学を中心に学ばせた
  • ②幕府の命令で全国に一斉に設置され、就学が義務づけられた公的な学校である
  • ③主に庶民の子どもが通い、読み書きやそろばんなど日常に必要な学習を行った
  • ④蘭学や医学などの専門的な学問を学ぶために、全国から青年が集まった塾である
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正解 ③主に庶民の子どもが通い、読み書きやそろばんなど日常に必要な学習を行った
解説

寺子屋は、江戸時代に広く普及した庶民のための初等教育の場です。僧侶・武士・医師・町人などさまざまな人が師匠となり、子どもたちに読み書き・そろばんなど、日常生活や仕事に必要な内容を教えました。教材には「往来物」と呼ばれる、手紙の文例や日常の知識をまとめた教科書が使われました。寺子屋は公的な制度ではなく民間で自発的に設けられたもので、江戸時代後期には全国に広く普及し、日本の識字率の高さを支えたといわれています。

他の選択肢が不適切な理由

・幕府の命令で一斉に設置され、就学が義務:寺子屋は民間の自発的な教育の場であり、就学義務はありませんでした。全国的な就学を求めた制度は、明治5年(1872年)の学制が最初です。
・各藩が武士の子弟のために設けた:これは藩校の説明です。
・蘭学や医学などを学ぶ塾:これは私塾(緒方洪庵の適塾やシーボルトの鳴滝塾など)の説明です。

【覚え方のポイント】
江戸時代の教育機関は3つで整理します。「藩校=武士の子弟・儒学」「寺子屋=庶民の子ども・読み書きそろばん・往来物」「私塾=学者が開き、身分を問わず意欲ある者が集まる」。
問45-4

江戸時代の私塾とその開設者(主宰者)の組み合わせとして、誤っているものはどれか。

  • ①咸宜園―広瀬淡窓
  • ②松下村塾―緒方洪庵
  • ③鳴滝塾―シーボルト
  • ④藤樹書院―中江藤樹
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正解 ②松下村塾―緒方洪庵
解説

松下村塾は長州(現在の山口県萩市)の私塾で、吉田松陰が主宰したことで知られます(もとは叔父の玉木文之進が開いたとされます)。高杉晋作や伊藤博文など、明治維新で活躍した多くの人材が学びました。緒方洪庵は大坂に蘭学の私塾「適塾(適々斎塾)」を開いた医師・蘭学者で、福沢諭吉などがここで学びました。

他の選択肢が不適切な理由

・咸宜園―広瀬淡窓:正しい組み合わせです。豊後日田(現在の大分県日田市)に開かれた私塾で、入門時に年齢・学歴・身分を問わない「三奪法」や、成績を毎月評価して公表する「月旦評」で知られます。
・鳴滝塾―シーボルト:正しい組み合わせです。オランダ商館の医師として来日したドイツ人シーボルトが長崎郊外に開き、西洋医学などを教えました。
・藤樹書院―中江藤樹:正しい組み合わせです。近江(現在の滋賀県)で開かれ、中江藤樹は日本の陽明学の祖とされます。

【覚え方のポイント】
「咸宜園=広瀬淡窓(三奪法・月旦評)」「松下村塾=吉田松陰」「適塾=緒方洪庵(蘭学)」「鳴滝塾=シーボルト(長崎)」「藤樹書院=中江藤樹(陽明学)」。私塾は身分を問わず意欲ある者が学べた点が特徴です。
問55-4

江戸時代に『和俗童子訓』を著し、子どもの年齢に応じて教える内容や方法を変える「随年教法」を説いた人物はだれか。

  • ①中江藤樹
  • ②石田梅岩
  • ③伊藤仁斎
  • ④貝原益軒
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正解 ④貝原益軒
解説

貝原益軒(1630〜1714)は江戸時代前期の儒学者・本草学者で、『養生訓』などでも知られます。晩年に著した『和俗童子訓』は、日本で最初の体系的な児童教育書とされています。この中で益軒は、子どもの教育は早くから始めることが大切だとし、子どもの年齢に応じて教える内容や方法を変える「随年教法」を説きました。子どもの発達段階に応じた教育という考え方の先駆けとして評価されています。

他の選択肢が不適切な理由

・中江藤樹:日本の陽明学の祖とされ、近江で藤樹書院を開きました。「近江聖人」と呼ばれました。
・石田梅岩:石門心学を開き、町人の生き方や商いの道徳を平易に説きました。
・伊藤仁斎:京都に私塾の古義堂を開き、古義学を唱えた儒学者です。

【覚え方のポイント】
「貝原益軒=『和俗童子訓』=随年教法=日本最初の体系的な児童教育書」。年齢に応じて教えるという考え方は、西洋のコメニウスやルソーの発達段階論と比べて問われることもあります。
問65-4

明治5年(1872年)に公布された「学制」に関する記述として、最も適切なものはどれか。

  • ①国民皆学を目指し、フランスの学区制にならって学校制度を定めた
  • ②アメリカの制度にならい、学校の設置や運営を地方の自由に委ねた
  • ③初代文部大臣が中心となり、小学校令や中学校令などを定めた
  • ④天皇のことばとして、国民道徳と教育の根本を示して発布された
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正解 ①国民皆学を目指し、フランスの学区制にならって学校制度を定めた
解説

明治5年(1872年)の学制は、日本で最初の近代的な学校制度です。公布に際して出された「学事奨励に関する被仰出書(おおせいだされしょ)」では、学問は身を立てるための財本であるとして、身分や性別にかかわらず全ての国民が学ぶ国民皆学の理念が示されました。制度はフランスの学区制にならい、全国を大学区・中学区・小学区に分けて学校を設置する計画でした。
ただし、学校の建設費や授業料は地元や保護者の負担とされたため、民衆の反発も招き、計画どおりには進みませんでした。

他の選択肢が不適切な理由

・アメリカにならい地方の自由に委ねた:これは明治12年(1879年)の教育令の説明です。自由教育令とも呼ばれ、翌年の改正教育令で再び国の統制が強められました。
・初代文部大臣が学校令を定めた:これは明治19年(1886年)に森有礼が中心となって定めた学校令(小学校令・中学校令・帝国大学令・師範学校令)の説明です。
・天皇のことばとして国民道徳の根本を示した:これは明治23年(1890年)の教育勅語の説明です。

【覚え方のポイント】
明治の教育制度は「1872年 学制(フランス・国民皆学)→1879年 教育令(アメリカ・自由)→1880年 改正教育令(統制強化)→1886年 学校令(森有礼)→1890年 教育勅語」の順に覚えます。
問75-4

明治期の教育に関する次の出来事を、年代の古い順に正しく並べたものはどれか。
A 教育勅語の発布
B 学制の公布
C 学校令の制定
D 教育令の公布

  • ①D→B→A→C
  • ②B→C→D→A
  • ③B→D→C→A
  • ④B→D→A→C
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正解 ③B→D→C→A
解説

正しい順序は、B 学制の公布(明治5年・1872年)→D 教育令の公布(明治12年・1879年)→C 学校令の制定(明治19年・1886年)→A 教育勅語の発布(明治23年・1890年)です。
学制は国民皆学を掲げた最初の近代的学校制度でしたが、画一的で地方の実情に合わず、教育令でアメリカの制度にならって地方の自由を大きく認めました。しかし就学率が下がったため、翌1880年の改正教育令で国の統制を強めます。その後、初代文部大臣の森有礼のもとで学校の種類ごとに学校令が定められて近代学校制度の骨格が整い、1890年には教育の根本理念を示す教育勅語が発布されました。教育勅語は戦後、1948年に国会の決議によって排除・失効が確認されています。

他の選択肢が不適切な理由

・B→C→D→A:学校令(1886年)は教育令(1879年)より後です。
・D→B→A→C:最初は学制(1872年)です。また学校令は教育勅語より前です。
・B→D→A→C:学校令(1886年)は教育勅語(1890年)より前です。

【覚え方のポイント】
「学制(72)→教育令(79)→改正教育令(80)→学校令(86)→教育勅語(90)」。「制度(学制・教育令・学校令)が整ってから理念(勅語)」という流れで覚えると順序を間違えません。
問85-4

大正期の自由教育(大正新教育)に関わる人物と、その業績の組み合わせとして誤っているものはどれか。

  • ①沢柳政太郎―成城小学校の創設
  • ②羽仁もと子―自由学園の創設
  • ③鈴木三重吉―児童雑誌『赤い鳥』の創刊
  • ④木下竹次―松下村塾での教育
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正解 ④木下竹次―松下村塾での教育
解説

木下竹次は、奈良女子高等師範学校附属小学校で、教科の枠にとらわれず子どもの生活や興味を出発点として学ぶ「合科学習」を実践した人物です。松下村塾は幕末に吉田松陰が主宰した私塾であり、木下竹次とは関係ありません。
大正期には、明治以来の画一的・注入的な教育を批判し、子どもの個性や自発性を尊重しようとする大正自由教育(大正新教育)運動が広がりました。欧米の新教育運動の影響を受け、多くの私立学校や師範学校附属小学校で新しい実践が試みられました。

他の選択肢が不適切な理由

・沢柳政太郎―成城小学校:正しい組み合わせです。沢柳は大正6年(1917年)に成城小学校を創設し、個性尊重の教育を進めました。
・羽仁もと子―自由学園:正しい組み合わせです。羽仁もと子は夫の吉一とともに自由学園を創設し、生活を重んじる教育を行いました。
・鈴木三重吉―『赤い鳥』:正しい組み合わせです。大正7年(1918年)に児童雑誌『赤い鳥』を創刊し、子どものための芸術的な童話・童謡の創作や、子どもの綴方(作文)を広めました。

【覚え方のポイント】
大正自由教育は「沢柳政太郎=成城小学校」「羽仁もと子=自由学園」「鈴木三重吉=『赤い鳥』」「木下竹次=合科学習(奈良女高師附小)」「及川平治=分団式動的教育法(明石女子師範附小)」の組み合わせで覚えましょう。
問95-4

第二次世界大戦後の教育改革に関する次のA〜Dの記述について、正しいものを○、誤ったものを×とした場合の正しい組み合わせはどれか。
A 1946年に来日した米国教育使節団は、日本の教育の民主化に関する報告書を提出した。
B 1947年に教育基本法と学校教育法が制定された。
C 学校教育法により、小学校6年・中学校3年の9年間の義務教育を含む6・3・3・4制が導入された。
D 教育勅語は、戦後も新しい教育の基本理念として学校で引き続き用いられることが国会で決議された。

  • ①A○ B○ C○ D×
  • ②A× B○ C○ D×
  • ③A○ B○ C○ D○
  • ④A○ B× C× D○
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正解 ①A○ B○ C○ D×
解説

A ○:1946年(昭和21年)、連合国軍総司令部(GHQ)の要請で米国教育使節団が来日し、教育の地方分権や男女共学、6・3制の採用などを含む教育の民主化に関する報告書を提出しました。
B ○:1947年(昭和22年)に教育基本法と学校教育法が制定されました。教育基本法は日本国憲法の精神にのっとり教育の目的や理念を定め、学校教育法は学校制度の具体的な内容を定めています。
C ○:学校教育法により、小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年の6・3・3・4制の単線型の学校体系が導入され、義務教育は小中学校の9年間となりました。
D ×:1948年(昭和23年)に、衆議院は教育勅語の排除を、参議院は失効確認を決議しました。戦後の教育の基本理念は教育基本法に定められています。

他の選択肢が不適切な理由

・A○ B○ C○ D○:Dは×です。
・A× B○ C○ D×:Aは○です。
・A○ B× C× D○:BとCは○、Dは×です。

【覚え方のポイント】
「1946年 米国教育使節団」「1947年 教育基本法・学校教育法(6・3・3・4制)」「1948年 教育勅語の排除・失効確認決議」。戦前の複線型から戦後の単線型へ、という学校体系の変化もセットで押さえましょう。
問105-4

明治18年(1885年)に初代文部大臣となり、翌年に小学校令・中学校令・帝国大学令・師範学校令などの学校令を制定した人物はだれか。

  • ①福沢諭吉
  • ②森有礼
  • ③新島襄
  • ④沢柳政太郎
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正解 ②森有礼
解説

森有礼(1847〜1889)は、内閣制度の発足とともに明治18年(1885年)に初代文部大臣に就任し、翌明治19年(1886年)、学校の種類ごとに小学校令・中学校令・帝国大学令・師範学校令を定めました(これらを総称して学校令と呼びます)。これにより、日本の近代学校制度の基本的な骨格が整えられました。小学校令では、尋常小学校の就学を保護者の義務とすることが定められ、師範学校令では、教員養成を重視して師範学校での教育の充実が図られました。

他の選択肢が不適切な理由

・福沢諭吉:『学問のすゝめ』を著し、慶應義塾を開いた人物です。学問によって身を立てることの大切さを説き、明治初期の教育観に大きな影響を与えました。
・新島襄:アメリカで学んだ後、キリスト教主義の同志社英学校を創設しました。
・沢柳政太郎:文部官僚を経て、大正期に成城小学校を創設し、大正自由教育を進めた人物です。

【覚え方のポイント】
「森有礼=初代文部大臣・学校令(1886年)」「福沢諭吉=『学問のすゝめ』・慶應義塾」「新島襄=同志社」「津田梅子=女子英学塾」。明治の教育者は業績の一文と結び付けて覚えましょう。
保育士 筆記試験の問題を続けて解く(全1000問) 教育原理の一問一答

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