2026年版・4-2

社会福祉の歴史(日本・海外)の一問一答

保育士 筆記試験「社会福祉」から、社会福祉の歴史(日本・海外)に関する4択問題を10問。「答えと解説を見る」を開くと、正解とその理由がその場で読めます。会員登録は不要です。

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問題

上から順に解いてみてください。答えは各問の下で確認できます。

問14-2

イギリスの救貧制度の歴史に関する記述として、誤っているものはどれか。

  • ①エリザベス救貧法は、貧民を労働能力の有無などで分類して扱った
  • ②ギルバート法は、労働能力のある貧民に院外救済を認めた
  • ③新救貧法は、院外救済を拡大し、劣等処遇の原則を廃止した
  • ④スピーナムランド制度は、低賃金の労働者に賃金の補助を行った
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正解 ③新救貧法は、院外救済を拡大し、劣等処遇の原則を廃止した
解説

1834年の新救貧法(改正救貧法)は、それまで救済費が膨らんだことへの反省から、救済を厳しくする方向で改められた法律です。労働能力のある貧民への院外救済(施設の外で暮らしたまま受ける救済)を原則として廃止してワークハウス(労役場)への収容に限り、救済を受ける者の生活水準は自力で働く最下層の労働者より低くなければならないという劣等処遇の原則を採用しました。したがって、院外救済を拡大し劣等処遇を廃止したとする記述は、内容が正反対で誤りです。

他の選択肢が適切な理由

・エリザベス救貧法:正しい記述です。1601年に制定され、貧民を「労働能力のある貧民」「労働能力のない貧民」「扶養する者のない児童」などに分け、働ける者には労働を課し、働けない者は救済し、児童は徒弟に出すという扱いをしました。教区ごとに救貧税を徴収して運営しました。
・ギルバート法:正しい記述です。1782年に制定され、労働能力のある貧民に対し、ワークハウスに収容せずに仕事を紹介するなどの院外救済を認めました。救貧制度を人道的な方向へ改めた法律とされます。
・スピーナムランド制度:正しい記述です。1795年に始まり、パンの価格と家族の人数をもとに、低賃金の労働者の収入を一定水準まで補う賃金補助を行いました。救済費の増大を招き、新救貧法制定の背景になりました。

【覚え方のポイント】
年代順に「1601年 エリザベス(分類して対応)→1782年 ギルバート(院外救済を認め緩和)→1795年 スピーナムランド(賃金補助でさらに拡大)→1834年 新救貧法(引き締め:院外救済廃止・劣等処遇)」と、緩和から引き締めへの流れで覚えると、正誤を判断しやすくなります。
問24-2

1834年の新救貧法(改正救貧法)で採用された原則のうち、救済を受ける者の生活水準は、自力で生活している最下層の労働者の生活水準を上回ってはならないとするものはどれか。

  • ①全国均一処遇の原則
  • ②劣等処遇の原則
  • ③ワークハウス・システム
  • ④補足性の原理
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正解 ②劣等処遇の原則
解説

劣等処遇の原則は、救済を受ける人の生活は、自分で働いて生活している最も低い層の労働者の生活よりも「劣って」いなければならない、という考え方です。救済を受けるほうが働くより楽であれば、人々は働かずに救済に頼るようになる、という当時の考え方にもとづいています。この原則は、救済を受けることを恥とする意識(スティグマ)を強め、貧困を個人の怠惰の結果とみなす見方と結びついていました。のちに、貧困の原因は個人だけでなく社会にもあることが貧困調査で明らかにされ、この考え方は批判されていきます。

他の選択肢が不適切な理由

・全国均一処遇の原則:新救貧法で採用された原則の一つですが、内容は、地域(教区)ごとにばらばらだった救済の水準や方法を全国で統一するというものです。
・ワークハウス・システム:これも新救貧法の柱で、労働能力のある貧民の救済をワークハウス(労役場)への収容に限るという仕組みです。生活水準の比較を定めたものではありません。
・補足性の原理:日本の生活保護法第4条に定められた原理で、資産や能力などを活用しても最低限度の生活を維持できないときに保護を行うというものです。イギリスの新救貧法の原則ではありません。

【覚え方のポイント】
新救貧法の3本柱は「全国均一処遇」「劣等処遇」「ワークハウス・システム(院外救済の廃止)」です。「生活水準を低く抑える」とあれば劣等処遇、「全国で統一」とあれば均一処遇、「施設に収容」とあればワークハウス、とキーワードで振り分けましょう。
問34-2

慈善組織協会やセツルメント運動に関する記述として、誤っているものはどれか。

  • ①慈善組織協会は、慈善団体の連絡調整と友愛訪問を行い、ケースワークの基礎を築いた
  • ②トインビー・ホールは、バーネット夫妻らによりロンドンに設立されたセツルメントである
  • ③ハル・ハウスは、ジェーン・アダムズらによりシカゴに設立されたセツルメントである
  • ④キングスレー館は、石井十次が岡山に設立し、住民とともに活動したセツルメントである
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正解 ④キングスレー館は、石井十次が岡山に設立し、住民とともに活動したセツルメントである
解説

キングスレー館は、1897年に片山潜が東京の神田に設立したセツルメントで、日本のセツルメントの先駆けの一つとされます。石井十次が岡山で設立したのは岡山孤児院であり、セツルメントではありません。したがって、この記述が誤りです。セツルメントとは、大学生や知識人などが貧困地域に住み込み、住民と生活をともにしながら、教育・保育・相談などの活動を通して生活の改善を図る運動のことで、のちのグループワークやコミュニティワークの源流になりました。

他の選択肢が適切な理由

・慈善組織協会:正しい記述です。1869年にロンドンで設立され、COSとも呼ばれます。慈善団体がばらばらに救済して重複や漏れが生じていたことを改めるため、団体間の連絡調整を行い、友愛訪問員が家庭を訪ねて個別に調査・援助しました。この個別援助の方法が、アメリカでリッチモンドらによってケースワークとして体系化されていきます。
・トインビー・ホール:正しい記述です。1884年にロンドンのイーストエンドに設立された、世界最初のセツルメントとされる施設で、バーネット夫妻が中心となりました。
・ハル・ハウス:正しい記述です。1889年にジェーン・アダムズらがシカゴに設立したアメリカの代表的なセツルメントです。

【覚え方のポイント】
「COS=個別の家庭訪問→ケースワークへ」「セツルメント=地域に住み込む→グループワーク・コミュニティワークへ」と、その後につながる援助方法で区別します。施設名は「トインビー・ホール=ロンドン」「ハル・ハウス=シカゴ」「キングスレー館=東京・片山潜」と、場所と人物をセットで覚えましょう。
問44-2

19世紀末から20世紀にかけてイギリスのヨーク市で貧困調査を行い、総収入が肉体的な能率を維持するための最低限にも満たない「第一次貧困」と、他の支出にあてられなければ最低限を維持できる「第二次貧困」とを区分した人物はだれか。

  • ①ラウントリー
  • ②ブース
  • ③ウェッブ夫妻
  • ④タウンゼント
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正解 ①ラウントリー
解説

ラウントリーは、地方都市ヨークで貧困調査を行い、栄養学などをもとに、肉体的な能率を維持するのに必要な最低限の生活費を計算して貧困線を引きました。そして、収入そのものが最低限に届かない「第一次貧困」と、収入は足りるはずなのに他の支出(飲酒など)に回るために最低限を維持できない「第二次貧困」とを区別しました。また、人の一生のうち、子ども時代、子育て期、老年期に貧困に陥りやすいという「ライフサイクルと貧困」の関係も示しました。こうした調査は、貧困の多くが個人の怠惰ではなく、低賃金や家族構成などの社会的な原因によることを明らかにし、救貧法の考え方を見直すきっかけになりました。

他の選択肢が不適切な理由

・ブース:ロンドンで大規模な貧困調査を行い、市民のおよそ3割が貧困状態にあることを明らかにした人物です。調査した都市が異なります。
・ウェッブ夫妻:国が国民に保障すべき最低限の生活水準である「ナショナル・ミニマム」を唱えた人物です。貧困調査で第一次・第二次貧困を区分したのではありません。
・タウンゼント:20世紀後半に、その社会で普通とされる生活様式から排除されている状態を「相対的剥奪」としてとらえ、貧困を相対的な概念として示した人物です。

【覚え方のポイント】
「ブース=ロンドン」「ラウントリー=ヨーク・第一次/第二次貧困・ライフサイクル」と、都市名で区別するのが確実です。ナショナル・ミニマムはウェッブ夫妻、相対的剥奪はタウンゼント、と概念と人物を1対1で結びつけておきましょう。
問54-2

次の文の(A)(B)にあてはまる語句の組合せとして正しいものはどれか。
「イギリスで(A)に発表されたベヴァリッジ報告は、社会の再建を阻む5つの巨人(巨悪)として、窮乏、疾病、無知、不潔、(B)を挙げ、社会保険を中心とする社会保障の計画を示した。」

  • ①A:1942年 B:差別
  • ②A:1948年 B:無為
  • ③A:1942年 B:無為
  • ④A:1948年 B:差別
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正解 ③A:1942年 B:無為
解説

ベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)は、第二次世界大戦中の(A)1942年にイギリスで発表されました。戦後の社会の再建を阻むものとして、窮乏、疾病、無知、不潔、(B)無為(怠惰、仕事がない状態)の「5つの巨人」を挙げ、このうち窮乏に対しては、国民が保険料を拠出する社会保険を中心に、それを国民扶助で補う仕組みで立ち向かうとしました。国が国民に最低限度の生活(ナショナル・ミニマム)を保障するという考え方を具体化したもので、「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる戦後イギリスの福祉国家の設計図になりました。日本の社会保障制度の議論にも大きな影響を与えています。

他の選択肢が不適切な理由

・A:1942年 B:差別:(A)は正しいのですが、5つの巨人に「差別」は含まれていません。5つ目は無為(怠惰)です。
・A:1948年 B:無為:1948年は、報告の考え方を受けて、イギリスで国民保健サービス(NHS)が始まり、国民扶助法などが施行された年です。報告が発表された年ではありません。
・A:1948年 B:差別:(A)(B)ともに誤りです。

【覚え方のポイント】
5つの巨人は「窮乏・疾病・無知・不潔・無為」です。それぞれ、所得保障、医療、教育、住宅、雇用という政策分野に対応していると理解すると覚えやすくなります。報告は戦時中の1942年、実施は戦後の1948年前後、と「報告」と「実施」の年を分けて押さえましょう。
問64-2

1874(明治7)年に制定され、救済は本来「人民相互ノ情誼」(住民どうしの助け合い)によって行うべきものとしたうえで、頼るべき者のいない「無告ノ窮民」に限って救済を行うとした日本の救貧制度はどれか。

  • ①恤救規則
  • ②救護法
  • ③軍事救護法
  • ④旧生活保護法
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正解 ①恤救規則
解説

恤救規則は、明治政府が1874年に定めた日本で最初の統一的な救貧制度です。救済はまず家族や親族、近隣の住民の助け合い(人民相互の情誼)によって行うべきであり、国が救済するのは、そうした頼るべき者がまったくいない「無告の窮民」に限る、という極めて制限的な考え方に立っていました。対象は、身寄りのない極めて貧しい者のうち、障害や病気、老衰、幼少などのために働けない者などに限られ、救済は米代を支給する形で行われました。国の責任で国民の生活を保障するという考え方はまだなく、救済は恩恵として与えられるものでした。

他の選択肢が不適切な理由

・救護法:恤救規則に代わる制度として1929年に制定され、財政難のため1932年に施行されました。高齢者や幼い子ども、妊産婦、障害などのため働けない貧困者を対象に、市町村長が救護を行う仕組みで、公的な救護の義務を定めた点で恤救規則から前進しました。
・軍事救護法:1917年に制定され、戦争で傷病を負った軍人やその家族、戦死者の遺族などの生活を救護するための法律です。一般の貧困者を対象とした制度ではありません。
・旧生活保護法:第二次世界大戦後の1946年に制定された法律です。国家責任による保護を定めましたが、素行不良者などを保護の対象から外す欠格条項があり、1950年の現行の生活保護法に全面的に改められました。

【覚え方のポイント】
日本の公的扶助は「1874年 恤救規則(情誼・無告の窮民)→1929年制定・1932年施行 救護法→1946年 旧生活保護法→1950年 現行の生活保護法」と一本の流れで覚えます。「情誼」「無告の窮民」という言葉が出たら恤救規則、と即答できるようにしておきましょう。
問74-2

日本における民生委員制度の成立と展開に関する記述として、誤っているものはどれか。

  • ①1917年、岡山県で笠井信一知事によって済世顧問制度が創設された
  • ②1918年、大阪府で林市蔵知事のもと方面委員制度が創設された
  • ③1946年に出された民生委員令により、方面委員は民生委員と改称された
  • ④1948年の民生委員法で、民生委員が児童委員を兼ねる制度が始まった
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正解 ④1948年の民生委員法で、民生委員が児童委員を兼ねる制度が始まった
解説

民生委員が児童委員を兼ねる(児童委員に充てられる)仕組みは、1948年の民生委員法で始まったのではなく、それより前の1947年に制定された児童福祉法で定められました。現在も児童福祉法第16条が「民生委員法による民生委員は、児童委員に充てられたものとする」と規定しています。したがって、この記述が誤りです。民生委員制度は、地域の事情に通じた住民が、行政と協力しながら生活に困っている人の相談に乗るという、大正期の地域の取組みから発展してきました。

他の選択肢が適切な理由

・済世顧問制度:正しい記述です。1917年に岡山県知事の笠井信一が創設した制度で、民生委員制度の源流とされます。
・方面委員制度:正しい記述です。1918年に大阪府知事の林市蔵のもとで、小河滋次郎の協力を得て創設されました。地域(方面)ごとに委員を置き、生活状態の調査や相談にあたる仕組みで全国に広がり、1936年の方面委員令で全国的な制度となりました。
・民生委員令:正しい記述です。第二次世界大戦後の1946年に民生委員令が出され、方面委員は民生委員と改称されました。その後、1948年に民生委員法が制定されて現在に至ります。

【覚え方のポイント】
「1917 済世顧問(岡山)→1918 方面委員(大阪)→1936 方面委員令→1946 民生委員令→1947 児童福祉法で児童委員を兼務→1948 民生委員法」と年表で覚えます。児童委員を兼ねる根拠は、民生委員法ではなく児童福祉法である点が引っかけの定番です。
問84-2

第二次世界大戦後の1940年代に制定された、いわゆる「福祉三法」の組合せとして正しいものはどれか。

  • ①生活保護法・児童福祉法・老人福祉法
  • ②生活保護法・児童福祉法・身体障害者福祉法
  • ③児童福祉法・身体障害者福祉法・知的障害者福祉法
  • ④生活保護法・身体障害者福祉法・母子福祉法
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正解 ②生活保護法・児童福祉法・身体障害者福祉法
解説

第二次世界大戦の直後、日本は、生活に困窮する人々、親を失った戦災孤児や浮浪児、戦争で障害を負った人々への対応を急ぐ必要がありました。そこで生活保護法(旧法1946年、現行法1950年)、児童福祉法(1947年)、身体障害者福祉法(1949年)が相次いで制定されました。この3つを「福祉三法」と呼びます。いずれも、GHQ(連合国軍総司令部)の示した、国家責任、無差別平等、必要な保護費に制限を設けないといった原則の影響を受けて整えられたもので、戦後の社会福祉の出発点となりました。

他の選択肢が不適切な理由

・生活保護法・児童福祉法・老人福祉法:老人福祉法は1963年の制定で、1940年代の福祉三法には含まれません。1960年代に加わって福祉六法を構成した法律の一つです。
・児童福祉法・身体障害者福祉法・知的障害者福祉法:知的障害者福祉法は、1960年に精神薄弱者福祉法として制定され、のちに改称された法律です。福祉三法には含まれません。
・生活保護法・身体障害者福祉法・母子福祉法:母子福祉法は1964年の制定で、現在の母子及び父子並びに寡婦福祉法です。これも福祉六法を構成するようになった法律です。

【覚え方のポイント】
福祉三法は「戦後すぐの困りごと」に対応した法律と考えると覚えやすくなります。生活に困る人(生活保護)、親を失った子ども(児童福祉)、戦争で障害を負った人(身体障害者福祉)です。これに1960年代の3法(知的障害者・老人・母子)が加わって福祉六法になります。
問94-2

1960年代に制定され、福祉三法とあわせて「福祉六法」を構成するようになった3つの法律(制定当時の名称)を、制定の早い順に並べたものはどれか。

  • ①老人福祉法→精神薄弱者福祉法→母子福祉法
  • ②母子福祉法→精神薄弱者福祉法→老人福祉法
  • ③精神薄弱者福祉法→母子福祉法→老人福祉法
  • ④精神薄弱者福祉法→老人福祉法→母子福祉法
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正解 ④精神薄弱者福祉法→老人福祉法→母子福祉法
解説

高度経済成長期に入った1960年代には、戦後すぐの福祉三法では対応しきれない課題に応えるため、対象ごとの法律が整えられました。制定順は、精神薄弱者福祉法(1960年)→老人福祉法(1963年)→母子福祉法(1964年)です。精神薄弱者福祉法は、18歳以上の知的障害者への援護を定めた法律で、1998年の改正で現在の知的障害者福祉法に改称されました。老人福祉法は、特別養護老人ホームなどの老人福祉施設を定めた法律です。母子福祉法は、のちに寡婦や父子家庭も対象に加えられ、現在の母子及び父子並びに寡婦福祉法となっています。これらに福祉三法を加えた6つの法律を「福祉六法」と呼び、日本の社会福祉の法体系の骨格とされてきました。

他の選択肢が不適切な理由

・老人福祉法→精神薄弱者福祉法→母子福祉法:老人福祉法(1963年)は精神薄弱者福祉法(1960年)より後の制定です。
・母子福祉法→精神薄弱者福祉法→老人福祉法:母子福祉法(1964年)は3つの中で最も新しく、順序が逆になっています。
・精神薄弱者福祉法→母子福祉法→老人福祉法:最初は正しいのですが、老人福祉法(1963年)は母子福祉法(1964年)より先です。

【覚え方のポイント】
1960年・1963年・1964年の順に「知的障害者(精神薄弱者)→老人→母子」と覚えます。社会福祉法第14条が、福祉事務所の所掌として生活保護法・児童福祉法・母子及び父子並びに寡婦福祉法・老人福祉法・身体障害者福祉法・知的障害者福祉法を挙げており、これがまさに福祉六法です。
問104-2

次のA〜Dのうち、日本の社会福祉の先駆者に関する記述として正しいものを○、誤ったものを×とした場合の正しい組み合わせはどれか。
A 石井十次は、岡山孤児院を創設し、少人数の家庭的な養育をめざして小舎制を取り入れた。
B 留岡幸助は、感化教育に取り組み、東京に家庭学校を創設した。
C 石井亮一は、知的障害児の教育と保護のために滝乃川学園を創設した。
D 糸賀一雄は「この子らに世の光を」と述べ、障害児を憐れみによって救う対象ととらえた。

  • ①A○ B○ C○ D×
  • ②A○ B× C○ D×
  • ③A× B○ C× D○
  • ④A○ B○ C× D○
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正解 ①A○ B○ C○ D×
解説

A:○。石井十次は1887年に岡山孤児院を創設し、多くの子どもを受け入れる中で、大きな集団ではなく少人数のグループで家庭に近い形で暮らす小舎制を取り入れるなど、先駆的な養育を行いました。
B:○。留岡幸助は、非行のある少年の教育(感化教育)に取り組み、1899年に東京に家庭学校を創設しました。のちに北海道にも分校を設けています。
C:○。石井亮一は、知的障害のある子どもの教育と保護に取り組み、滝乃川学園を創設しました。日本の知的障害児教育・福祉の先駆けとされます。
D:×。糸賀一雄は、近江学園やびわこ学園を創設し、「この子らを世の光に」という言葉を残しました。障害のある子どもを、憐れみや救済の対象(この子らに光を与える)としてではなく、その存在自体が社会を照らす光である(この子らを光に)という意味であり、記述は言葉も考え方も逆になっています。

他の選択肢が不適切な理由

・A○ B× C○ D×:Bを×としている点が誤りです。家庭学校の創設者は留岡幸助です。
・A× B○ C× D○:A・Cを×、Dを○としている点が誤りです。
・A○ B○ C× D○:Cを×、Dを○としている点が誤りです。

【覚え方のポイント】
人物と施設は「石井十次=岡山孤児院」「留岡幸助=家庭学校」「石井亮一=滝乃川学園」「糸賀一雄=近江学園」と1対1で覚えます。石井十次と石井亮一は同じ姓なので、「十次は孤児、亮一は知的障害児」と対象で区別しましょう。糸賀一雄の言葉は「に」と「を」の位置が問われるので、「この子らを・世の光に」と区切って覚えるのが確実です。
保育士 筆記試験の問題を続けて解く(全1000問) 社会福祉の一問一答

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